ヨガに出会ったのは20数年以上の昔・・インドで学び始めたのは10数年前のこと・・自己の修練や指導においてまたインドにて感じたことは少なくない。
象の鼻だけ足だけ耳だけ見ても部分しか見なかったなら全く別の生き物に思えるだろう、多様性のあるヨガを論じることはそんな難しさがある。取り合えず宗教的哲学的な部分はあまり触れず、身心の修練としてヨガはどうなんだということをエクササイズを通じて常に考えている。
日本のヨガの黎明期は1960年代、当時は「ヨガ問答」という月刊誌まであり第一期のヨガブームであった・・当時のブームを牽引していたのは沖昌弘氏であり、彼の提唱した沖ヨガはインド伝統のヨガに加えマクロヴィオテックや合気道、西式健康法など日本の身心修練法も取り込んだものであった。
沖氏の著作のなかで「今のインドヨガはヨガではない」や「従来のヨガに禅、陰陽哲学、東西医学、修養法を加え近代的総合的に解釈している、もしヨガだけを学行していたらヨガの本当のことも分かり得ない・・」とあり、その点が何を意味するのか判りかねていたが、自分がインドでヨガに傾倒していくうちにある種の違和感が生じたことでその意味がなんとなく理解されてきた。
今から50年以上も昔でさえも沖氏によればインドのヨガはヨガではないのであるなら今の欧米のヨガブームに影響されているインドのヨガは一体何なんだろう?リシケシやマイソールほかインド各地のヨガアシュラムを探訪したが、そこで見たヨガはインド本来のヨガであったのであろうか?
インドに行けば当然ながら伝統のヨガを学べると考えていたが、実際はそう容易でもなかったわけであり、そもそもその伝統のヨガとは一体どんなものか自体も深入りすればするほどわからなくなってきた・・
沖氏が1952年に赴いたノナワラのヨガ研究所は外国人向けに整備されたところで現地のインド人たちを完全にシャットアウトした施設であったそうだ・・その時代でそうなんだから現在の外国人(つまり欧米人)を受け入れるヨガは外人用にプログラムをリメイクされたヨガだと言ってもおかしくはない。インドのヨガ自体も既に欧米の影響下にある。2000年代に日本に入ってきたヨガブームは欧米経由のヨガでそれはまさしく欧米スタイルヨガ、それがゆえにスタイリュシュなイメージでファッション感覚に長けた多くの若い女性に受け入れられた。
1990年代にインド各地を訪れた際、有名な施設ほど外国人とインド人とを隔離しているところが多かった・・外国人とインド人ではレッスン料金の差があるので一緒には教えにくいという面とやはり異教徒なのでヒンディーの儀礼に則ってはやりづらい面もあるとのことだった。日本人は宗教に疎いがキリスト教が土台にある欧米人にとってヒンドゥー教色があまり強すぎると違和感を生じさせてしまうのでその辺は曖昧にされているのが現代のヨガである。それでもイスラム国家ではヨガは歓迎されてはいない。日本の忍者に憧れる外国人がいるようにヒンディー文化習俗哲学に凝ってる人もインドにはおりちょっと勘違いしたヒンドゥー歌舞れの外国人(日本人含む)もけっこういた。
晩年になるとそれまでの一切の職業や家族も捨てて遊行僧になる人のことをインドではサドゥーと呼ぶ。大概は葉っぱモクモクの不良サドゥーなのだが、山に籠り時々里に降りて来る本格派の人もいないわけではない。ネパールとの国境近くで会った不思議なサドゥーもそんな一人で普段はヒマラヤ山麗にいるがときどき托鉢に降りて来るそうだ・・些かヨガの手解きを受けたのだが、伸ばしたら縮める尺取虫みたいなポーズをする妙なヨガであった、失礼とは思ったが教授料は如何程か尋ねると
「自分の身の丈に合ったくらい・・多少は不問」
と言われた。
彼によれば街でやってるヨガ教室はどれも商業主義のものばかりでロクでもないものばかりだ、もともとヨガは山に籠っていた行者が身心の疲労回復や精神の集中を編み出すためにやってたもので自然の山川草木と一体となるものだそうだ・・確かにインドに関わらず今や全世界のヨガで商業主義に乗かってないものはほとんどなくそうならざるを得ないのが現代である。
ただそれも程度の差はあれ一つの専門スキルとして考えれば幾ばくかのレッスン料を得るのは問題ではなかろう。ところで中国の公園の早朝太極拳はたいてい無料で誰でも参加できる、近年インドの公園でも同じようにフリー参加できる早朝ヨガが行なわれるようになった、大阪城公園でも早朝ラジオ体操をやってるがもちろん無料である。初級レベルの太極拳やヨガなら日本でも無料でやればよいのにと思うが、やたら他人の目を気にする日本人には難しいのかもしれない。
2005年位にピークを迎えたヨガブーム前後にインストラクターが急速に増えたが、短期間で即成されたせいか身体操作性や運動生理学の知識も浅い講師が多くなった気がした。自身も指導員養成コースを開講した際にカリキュラム自体は充実させたもののそのトレーニングや指導スキルを磨く時間が若干足りなかったと悔やんでいる。日本にも無料ヨガの場があれば養成コース出たての新米講師が学びながら教える経験を通じて技能を高められる場となるだろうにと思う。
南インドのマイソールゴクラムにアシュタンガヨガの本部がある。これまで見たインドのヨガ道場とは一線を画する近代的な建物でさすがに世界のアシュタンガだと感服したが、料金の方もさすがで・・練習は月〜金にて1ヶ月目は27530R、約600USD!2ヶ月目から17416Rで安くなるがそれでも他所の10倍以上だ・・聞けば全員外国人で一般のインド人はいないそうである、確かにインド人からすれば法外な料金だ、せっかくインドまで来たのに外人専用道場ではつまらないしアシュタンガ信徒ならともかくこの値段では練習は無理と思ってジャガンモーハンにあるもう一つのアシュタンガ道場に行くことにした、こちらは料金は安くインド人もいる、土日もフルムーンも道場は開放されて練習できるようになっている、但し古いお寺の2階で早朝はゴキブリがまだ元気にホイホイ這い回っているような所でしかも外国人は物置部屋に入れられる。
このヨガはその名のとおりアシュタンガ八支則というヒンディーの思想教理をバックボーンにしているわけだから、インド的なヨガかと思われるが実際のエキササイズは西洋スタイルといってよい。Skバタビジョイスの師クリシュナマチャルヤがマイソール宮殿を訪れる宗主国イギリス人にインド文化が西洋文化に比肩するものであることをアピールするため西洋の徒手体操を取り込んだヨガを披露したとされ、そのシークエンスを踏襲しているので非常に活動的なスタイルとなっている、だたそのことでヨガの欠点を若干補っているのでアウターの部分では完成度が高いと見ている。たがウジャイ呼吸法、繋ぎのヴィンヤサ動作など交感神経緊張過多なのでシャバアサナでよく沈静させないと神経にはよくないであろう。またカウントを取って行なう場合集団意識が高まりつい頑張って故障してしまうことが多いのであくまでも身の丈を考えてやらねばならない。そして一定の年齢を過ぎれば腰膝手首を痛めないように注意したほうがよいだろう。
ところでクリシュナマチャルヤの子孫がマドラスにいるが彼らが伝えしものはバタビジョイスのスタイルとは違って頗る静かなものだ、またBKSアイアンガーもクリシュナマチャルヤの弟子なのにこちらもいたって静かなものである、つまりはそれぞれ学びしものが自分の考えでよしとするものを発展させていったということだろう・・ただどのスタイルにしてもヨガのある種の欠点はヨガである以上は含まれている。
南インドはヨガの他アーユルベーダやカラリパヤットというインドを代表するアートも盛んだ。カラリはインド古代の拳法で中国の少林拳の原型?という説もある。ドリバンドラムの道場に稽古を見に行くと確かに少林拳によく似た蹴り上げ運動をやっていた、ヨガっぽい型や動物の動きを模倣した型もありなかなか興味深かった、古い武術らしく武器法も多彩である、内功は未発達ではあるがまだ洗練されていない原石の良さが見て取れた。少林寺には「心意把」という秘伝の型があるがカラリはどんなんだとグルに聞くと特になく全ての型が秘伝だそうだ・・ヨガを学んでいると言うと‘
それはGOOD ! ’「武道もやっている」‘ それはBETTER
!でもカラリもやればBESTだ ’と言われた。彼によればヨガとカラリは静と動、馬車の両輪の如く相補相完するもので共に学ぶべきものなのだそうだ・・
発展的形態といえるのかどうか意見が別れることだが、他のエキササイズの手法を加えてやってるヨガがある。多いのはピラティスとか類似傾向のあるやつだが、ヨガにはないスピーディな動きのもの、武道の型などを混ぜたりしてるものもある。以前は疑問に感じていたが、これは本能的にヨガの短所を補おうとしてそうなっていったのが段々わかってきた。
元々は武道、内功主体にしているものとヨガを別個に練習していたが、一時ヨガだけに専念する時期もあった。その頃どうも妙な感覚が生じていることに気づいた。ゴムが伸び放しになっているような感じ・・動物的な身体本能が減退していくような・・つらつら考えるにどうやら自律神経の中の副交感神経の抑制が効き過ぎているのではないかということがわかってきた。カラダを伸張させるには緊張がともなうがそれをあえてリラックスさせて筋腱を弛ませてできるだけ伸ばそうとする、余分な力が入ってたら伸びていかないものだからヨガである以上そうするのは当たり前だが、これが生理学上ヘンテコな作用を生み出してしまう。
生きものには生体防御が備わっており、カラダを伸ばそうとすると守ろうとする反応がある、その際は交感神経が働くものだが、そうするとリキんでしまうので伸ばすためにリラックスさせる、つまり副交感神経を優先させようとするのである。この習慣を徹底的にカラダに馴染ませると交感神経の作用が鈍っていく・・日常生活のなかで危険を察知する勘や集中して力を発揮させる際には交感神経の緊張が必要なのだ。
バリアフリー住宅に住むお年寄りは痴呆や寝たきりになりやすい、老いぼれていく身にはけっして優しくない。身近に危険とまではいかなくても適度に段差や出っ張りなどがあれば気をつけようとする神経が働くし運動感覚も刺激される。安全快適すぎると人間の生活機能そのものが退行してしまうのだ。昭和初期はまだデコボコの道や水路や池にも柵はなく危ないところはどこにもあったが、事故が起きれば管理責任が厳しく追及される窮屈なご時世になりそんな小さな冒険もできなくなった、それに比例して子供の身体がおかしくなり、転んでも手をつかずに顔から落ちる子供とか考えられない事例が増えてきた。危険が全くない人工温室のような環境で暮らせば交感神経が一瞬緊張して危険に対処することも必要ないわけだから生物としての本能も劣化してしまうのだ。
専門的にヨガをやりこんでいけば本来交感神経の緊張にて対処しなければならないときもリラックスを司る迷走神経が優先されるので適度な緊張で身体はリラックスという状態がとりづらくなる、そして弛み放しの状態をキープする時間が長ければ瞬発力や筋肉の反応速度が確実に落ちてくる。もちろん専門にやらなければそこまでならないので、普通にヨガ教室に通ったりする位では全く大丈夫、ただ他の競技のアスリートの人はあまり集中してやりこまないほうがよいだろう。過度なストレッチの弊害を説く競技者もいると聞く。先に挙げたヨガに武道を取り入れたものや動的な要素を含んだアシュタンガも意図しているかどうかは知らないがこの辺りを補おうとしているように思える。
ヨガの奥義は完全なるバランスである。エキササイズに限っていえば、緩緊動静剛柔内外前後上下左右開合・・相反するものが拮抗してバランスを保持するものこそが究極のバランスである。アサナのなかにはハンドスタンドなど体幹筋力が充実していないとできないものもあり古来から弛緩主体を調整するようには考えられていたが、緩の中の緊、緊の中の緩という内外相反のメソッドまでは考案されてはおらずここがヨガの弱点であると思う。身体を伸ばしている際にはカラダは弛緩し静態であっても意は動態であらねば完全なるバランスとはいえない、つまり「外静内動」であって「外静内静」では偏ってしまう。ヨガは元来内外の調和による機能性向上に眼目されてはいない。
インド人の体型もあるかもしれないが、ヨガのエキスパートの人の身体は機能性に優れているようには見えない。胴体はがっしりしているが脚が細すぎる。高齢でもまだ現役のBKSアイアンガーは凄いが脚が細すぎるのでどうも貧弱に見えてしまう。脚力をつけるポーズがさほど多くないのでそんな体型になるのか・・カラリパヤットの人たちは足腰もがっしりしていたように見えた。ヨガはカラダを柔らかくする効果に長けているがその柔らかさの質について考慮されていない。ゴムのように柔らかくしなやかで弾性力があって機能性に富んだ身体活動力を得られれば理想である。
近年のヨガ自体が外形重視のエクササイズに偏重しているので武道の型を取り入れても結局は外形主体は変わらない、内面の変革を促さないことには本質的な改良とは言えない。ヨガのポーズは静止である、つまり瞑想しているような状態であるがその内面に動法があれば完全なるバランスを得ることができる。アサナ呼吸法瞑想を別々順番に行なうのはヨガの理想とはいえない、私はそれの一体化を心意を以って呼吸肢体を導く合気之内功にて実践している、瞑想で呼吸法そして深層に働く動法、それらが同時に結合できる‘YOGA’態であることがヨガの本源であると捉えている。
呼吸法についてだが一番良いのは動物のように自然に呼吸をすること、と言っても現代人はその自然ができないのでやはり多少の訓練は必要、ただ呼吸を停止するクンバカは血圧上昇や自律神経失調につながるのであまりお薦めできない、胸式腹式その連動の呼吸にて呼気と吸気のバランスをコントロールできるくらいで良いだろう、それから呼吸法を集団で合わせる練習例えばアシュタンガのウジャイやマントラのチャンティングもそうだが、意識の同調性が高まって容易に集団催眠をかけられてしまうので注意したい、宗教性のあるヨガはこれで洗脳してしまうようである。
またチャクラについてだが身体を活性化する*医療ポイントとしては重要であるが、超常能力を開発させる神秘作用はない。チャクラを開発しているというヨギに何人も会ったことがあるが特異能力はなくハッタリばかりであった。チャクラへの意識の集中は気功でいう意守でありこれまた自律神経失調を起こしやすいので「似思似非思」つまり思うようで思わない模糊の境地でやるのならさほどの害はないだろう。インドには不思議な異空間の作用がある、それがゆえに神秘性の罠にはまることもあるかもしれない、不可思議なことも全くないといえないのがインドだからだ。
作務の中に禅味があるようにヨガもまた不立文字教外別伝としたほうが極端に走ることはないであろう。特殊な呼吸や高度なポーズこそヨガだとすることや排他的なベジタリアンやエコロジストには偏りがある。「完整合一」バランス良く内外が結合された自然な身体性を求めるものであればよいのではないだろうか。。
*ア−ユルヴェーディクのヨーガチキッツアには医療ポイントとしてはマルマという経穴があり、ヴェータ・ピッタ・カパの過剰抑制を調和するマントラ意念とマルダナ(指圧)を用いる療法がある
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